易経に良い卦・悪い卦はある? 吉凶の本当の読み方
2026年10月24日 更新
ふつうに思われているような意味では、ありません。卦の中には、ほかよりも楽な状況を描くものがあります。けれども本文が、ある卦を単純に縁起がいい、悪いと言うことはほとんどありません。易経が判断するのは、ある状況の中で人がどう振る舞うかです。だからこそ、もっとも明るい卦にも戒めがあり、もっとも暗い卦にも吉の爻があるのです。
判断の言葉は何を判断しているのか
『周易』には判断の言葉が少しだけあります。吉(吉)、凶(凶)、悔(悔い)、吝(恥、行き悩み)、無咎(咎なし)です。これらは卦辞に、そしてそれよりはるかに多く個々の爻に付いています。繋辞伝(繫辭)は、これらが何を測っているのかを説明しています。
- 吉凶者,言乎其失得也:「吉凶とは、その失得を言うなり」。つまり、やり方が正しいか間違っているかについて言っているのです。
- 悔吝者,言乎其小疵也:「悔吝とは、その小疵を言うなり」。
- 無咎者,善補過也:「咎なしとは、善く過ちを補うなり」。
もう一度読んでみてください。判断の言葉は運命の天気予報ではなく、正しくやれているかについてのものです。「咎なし」は中立的な肩すくめではなく、針路を正す人への賞賛なのです。それぞれの言葉については吉・凶・悔・吝・無咎の意味で詳しく取り上げています。
多くの判断は、はっきりと条件つきでもあります。ある爻は貞吉、「貞しくして吉」と言い、別の爻は貞凶、「貞しくして凶」と言います。同じ状況でも、今していることを続けるかどうかで判断が分かれるのです。時機にかかっているものもあります。たとえば第6卦 天水訟(争い)は、中吉,終凶、「中ほどにして吉、終わりまで行けば凶」と言います。本文は、どこで止まるべきかを教えているのです。
王弼:卦は「時」である
三世紀の注釈者王弼(王弼)は、この原理を一文にまとめました。卦者,時也;爻者,適時之變者也——「卦とは時なり。爻とは時に適うの変なり」。卦は一種の季節です。季節そのものに良い悪いはなく、ただそれにふさわしいことがあるだけです。冬は種まきには向きませんが、道具の手入れにはうってつけです。
だからこそ、各卦の大象は君子、つまり君子の振る舞いで締めくくられています。「君子もって……」。もっとも厳しい卦の中にも、君子がなすべきことがあるのです。
危うい爻をもつ「良い」卦
誰もが出てほしいと願う卦を見てみると、その中に戒めがあります。
- 第1卦 乾為天(創造)は、この書の中でもっとも力強い卦と言えます。それでもその上爻は亢龍有悔、「亢龍悔いあり」です。頂点を越えてまで押し進めた強さのことです。
- 第11卦 地天泰(安らか)は、上と下の調和を描きます。その上爻は、城壁が堀へと崩れ落ちる様子を示し、貞吝で終わります。今それに固執すれば恥を受ける、と。安泰もまた、尽きるときが来るのです。
- 第63卦 水火既済(完成のあと)は、卦辞でそれをはっきり言っています。初吉終亂、「初めは吉、終わりは乱る」。やり終えたときこそ、注意がゆるむのです。
「もっとも吉の卦」の一覧(易経でもっとも吉とされる卦を参照)でさえ、実際には、正しい振る舞いが見えやすい状況の一覧であって、保証ではありません。
吉の爻をもつ「悪い」卦
逆の場合も、同じくらい印象的です。
- 第12卦 天地否(ふさがる)は、泰を映した鏡像です。けれどもその五爻は休否,大人吉、「否を休む、大人は吉」で始まり、上爻は傾否,先否後喜——「否を傾く。先には否がり、後には喜ぶ」と言います。
- 第23卦 山地剝(剝ぎ落とす)は、下から侵食されていく構造を示します。その上爻は碩果不食、「碩いなる果は食らわれず」。そこからふたたび物事が育っていく種であり、「君子は輿を得」とも言います。
- 第47卦 沢水困(困窮、行き詰まり)は、卦辞を亨、「亨る」で始め、貞しい大人には吉で咎なしと続けます。
- 第29卦 坎為水(重なる険難)でさえ、有孚,維心亨、「孚あれば、これ心亨る」と言います。誠実であれば、心のうちで通じるのです。
厳しい卦は断罪ではありません。厳しい時期の描写であり、品性のある人がそこをどう抜けていくかについての覚え書きなのです。難しい卦の読み方のガイドで、さらにいくつかを取り上げています。
まったく良いだけの卦はあるか
よく挙げられる候補は[第15卦 地山謙](/iching/hexagrams/15-qian)(謙虚)です。卦辞は亨,君子有終、「亨る。君子は終わりあり」で、六つの爻のどれにも凶、悔、吝の判断が付いていません。ほとんどが吉、あるいは利しからざるなしと言っています。伝統的な読み手たちも昔からこの点に注目してきました。ただし、この例外が教えていることに目を向けてください。暗い爻を一本ももたない唯一の卦は、手柄を誇らないことについての卦なのです。ここでもやはり、吉はある心のあり方に属しています。
伝統の中にも少し意見の違いがある理由
すべての読み手が判断の言葉を同じように扱うわけではありません。王弼と程頤(程頤)の「義理」の学派は、それをほとんどもっぱら道徳的な助言として読みます。朱熹(朱熹)は、『周易』はまず占いの書であり、その判断はかつて実際に結果を予言していたと主張しましたが、それでもなお、問う人の振る舞いと正しさに左右されるものとして読みました。六爻占いのような数を基にする流派は本文を脇に置き、爻の五行から吉凶を判断します。多くの読み手と同じく本文そのものを使うのであれば、朱熹も程頤も実際的な点では一致しています。本文がどんな振る舞いを判断しているのかを問え、ということです。
自分の易占いの読み方
- 卦名や評判で止まらないでください。卦辞を、そして何よりも変爻を読みます。
- 判断の言葉を見つけ、それが何を条件にしているかを問いかけます。続けること、止まること、進むこと、待つこと、誠実さ、時機。
- 「良い」卦が出たら、行き過ぎや油断を戒めている爻を探してください。
- 「悪い」卦が出たら、その中で君子が何をしているかを探してください。それがあなたの答えです。
- それでも結果がしっくりこないなら、もう一度易占いをする前に、易経の答えが間違っていると感じたらのガイドが役に立つかもしれません。